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2005.12.15

マンホール@三門駅近辺

mikado1mikado2
三門駅近辺からマンホール2種。
制水弁に消火栓です。
旧大原町町章付き。

「近辺」というのは駅前には存在しなかったので多少歩いた為です。

2005/12/10撮影

三門駅は、千葉県いすみ市です。
それでは大原町町章というのは何?なってしまいますが、いすみ市は、2005年12月5日に夷隅町,大原町,岬町が合併して出来た町なのでしょうがありません。
それでは、三門駅は旧大原町かと?。
GoogleMapで三門駅をポイントすると、旧岬町三門にあるように見えます。駅前すぐに旧岬町,旧大原町町境があり、大原町側に歩いたので筋は通って見えます。

しかし、駅の所在についてはやはり本家JR東に当たるべき、と、えきねっと(JR東日本)|各駅情報 三門駅を参照すると、

駅住所:千葉県夷隅郡大原町日在

と有ります。ちょっとまて、ソレは町境の向こう側と、その先MapionへのLINKも踏んで見ると、夷隅郡岬町三門を指します。さっぱり判りません。

駅位置がずれて、地図上の駅位置が追いついていない可能性を考えてググると、
リンク: 三門(ちきページ【駅…古よりの地名最後の砦】-内).

駅開業時の住所は夷隅郡長者町でした。開業時は現在よりも600mほど長者町駅よりに駅があったのですが、昭和5(1930)年に現在の位置に移転しています。なお、いつからか定かではありませんが(恐らく昭和60年に木造駅舎が取り壊された時期くらいか?)、所在地が夷隅郡大原町に変更になっています。

というのを発見。実際の駅位置は600mずれているのか?と考えたが、駅前の"記憶"と地図上の道路配置は合致しており、600mも狂っているとは思えない。また、駅の移動と所在地変更は同時でないし?

地図を変えてみるもよし、という事で、MapFan Webにあたってみる。http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E140.23.41.6N35.16.44.7&ZM=12
おお、ホームは全て旧岬町三門だが、駅出口、すなわち旧駅舎のあった場所は旧大原町だ、と。
これで筋は通った。

駅移転時に、駅舎部が旧大原町に入っていたのを後修正で所在地変更したか、
先々代木造駅舎はまだ旧岬町だったが、先代(?)駅舎が旧大原町になってしまったか、
町境界がMapion等の示すものだったが、実情に合わせて現在(いすみ市に合併以前)の物(道路の上に)変更されたか、
そもそもMapFan Webの示す町境界がただしく、ほかは間違っているとか。
まあ、このさいどれでも(笑)。

しかし、現在の仮設駅舎、数m寄っているわけで、再度旧岬町側に入ったりしてないよね?

駅開業時の所在地は"長者町"なので、旧岬町三門の町村名変遷を追うと、
三門村 -> 明治22年町村制:旭町[合併] -> 明治33年改称:長者町 -> <<明治36年三門駅開業>> -> <<昭和5年駅移動>> -> 昭和28年:長者町(中根村を合併:昭和の大合併?) -> 昭和36年:岬町(太東町と合併) -> <<昭和??年駅所在地変更:大原町>> -> 平成15年いすみ市

という事で、「駅所在地名」は、長者町/岬町/大原町/いすみ市 と変化した模様。

参照LINK:岬町ホームページ

明治32年の大原までの開通、明治36年の長者町-大原間に三門駅が開業した時は、房総鉄道。
国有化されるのは明治40年。
明治36年の三門駅開業は、同年の房総白土商会の操業開始が理由かなと。
国有化後も三門駅構内に工場をがあったそうである。
房総白土商会の操業は昭和44年までで、昭和5年の駅移転とまったく一致しない。
(a)輸送に鉄道を使わなくなった?
(b)駅が工場から逃げた?

参照LINK:
11 白土採掘坑跡(「千葉県の産業・交通遺跡」内)
房総の鉄道 歴史年表

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コメント

こんばんは。
少々気にかかったので、調べ直してみました。

手持ちの資料をあさると、昭和47年の三門駅の所在地はすでに大原町日在(ひあり)になっていました。私のページの大元の資料である『停車場変遷大事典』によると、昭和9年に発行された停車場一覧という書籍に当時の三門駅の住所が長者町だったと載っていますが、恐らくこれは誤りで、昭和5年の駅移転時にはすでに大原町に住所が変更されていたのだと思います。よって変遷としては長者町→大原町→いすみ市 だと思います。(こちらもあくまで推測ですが)

そんなわけでページの方は後ほど修正します。

焼失後の三門駅、建設中の誉田駅橋上駅舎、興味深く拝見しました。三門はしばらくこのままでしょうね。

投稿: ちき | 2005.12.16 21:10

更に追加。

駅の移転については私の勘違いでした。

移転は明治40年11月1日の房総鉄道買収の2ヵ月後に行われていて、実際には長者町側へ0.1マイルのみの改キロとなっています。この理由は良くわかりません。これは開業時は現位置よりも大原側に駅があったということで、この時の住所が長者町三門なのは解せません。謎が深まるばかりです。

焼失前の貨車駅舎の前に木造駅舎があったわけですが、この駅舎がいつ建てられたかわかれば、新たな展開が見えてくると思うのですが、現在のところいつ建てられたのかわかりません。私のページも大幅な修正が必要です。

投稿: ちき | 2005.12.16 21:23

> ちきさん
こんばんは。
なんか微妙なところで疑問が残るので、メールしたものか考えていたので見つけていただいてうれしいです。

さて、三門駅の旧位置ですが、しれしれ本文中にも追記した、
http://www.cmsi.jp/sanko/pages/011.html
の記述よれば、岬町三門から東小高にかけて白土採掘坑持っていた、房総白土商会の工場が三門駅構内にあったとあります。
東小高との位置関係から、工場が線路はさんで今の駅舎側にあったとは思えず、駅舎の逆側にあったとするのが自然だと思います。
が、今の駅の位置ではズバコンの写真(と自分の記憶)からすると、そこに工場があったとは考えにくい地形です。
また、駅位置自体、東小高から輸送してくるには不自然で、今の道路が当時のままの位置を走っているとすると、今の位置から100~200m?大原駅側に寄った踏み切り(が多分ある)位置にあったとすると自然だと思います。
そこでまた、googleMapでしかそう見えないのがあれなんですが、踏み切り近辺で不自然に?三門の町境が線路によっています。
駅舎がそこにあったとすると、大原駅側に寄っていたのに三門、ということが一応成立するのですが。

http://www.cmsi.jp/sanko/pages/011.html
には、1997年の房総白土商会工場跡写真があって、これが現存していれば、旧駅舎位置特定できるのですが、さすがに残っていないかも.な。。

三門駅には、「仮設駅舎をご利用ください。正規(?)駅舎建設は未定です」的張り紙がありました一応。

投稿: | 2005.12.16 22:52

三門駅の開業の経緯としては、開業日からその房総白土商会の創業が大きくかかわっていると見て間違いないでしょう。前述の『停車場変遷大事典』にも「白土」の文字が見えます。

明治41年5月15日 貨物の取扱を開始す。但当分の内白土の外一車積のものを取扱はす【原文まま】
とあり、三門が貨物駅にもかかわらず白土の貨物以外扱っていないのが見て取れます。

駅の位置としては駅舎の位置が住所となるのが常ですので、開業時の木造駅舎、白土商会の工場などがかかわってきて色々と調べないとわからなそう。工場が現駅舎の反対側だったという説はおそらく正しいと思います。

0.1マイルってことはわずか16m。前出のmapfanの地図でいくと50mくらい南は長者町三門がかかってくるところがありますね。

しかしほんとややこしい。救いは合併されいすみ市となったことで「過去のこと」と片付けられてしまう点でしょうかね(笑

投稿: ちき | 2005.12.16 23:25

16m×→160m

投稿: ちき | 2005.12.16 23:30

はい。三門駅は、開業の時から、「現いすみ市内にあった」ことは確かですしね。

16mなら、踏み切りに寄るだけですが、160mだと踏み切り通り越しですね。MapFanの図では、なにやら踏み切りの向こう側も妙に鉄道敷地(?)が広いような気がしないでもなく、そこにホームの遺跡でもあれば...気のせいかもしれませんが。

全駅訪問の横見さん( http://yokotetu.z1.bbzone.net/index.html )も三門駅訪問は1993年、駅舎写真といえばの、さいきさん( http://homepage2.nifty.com/ekisya/ )も外房線駅舎で一番古い写真は1987年のものなので、ネット上で旧駅舎のことを知っていそうな人が思い当たりません(苦笑)。

あとは、国土地理院( http://www.gsi.go.jp/ )で旧版地図を閲覧する、という手は残ってそうですが。

投稿: | 2005.12.17 01:36

おはようございます。

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-14/c5c/ckt-74-14_c5c_22.jpg
(2.5Mほどあり重いです)

国土情報ウェブマッピングシステム(http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/ )内の三門駅周辺の昭和49年撮影の空中写真です。この写真で当時の三門駅の駅舎が確認できます。写真下部真ん中辺りから外房線と国道が延びていますので、あとはmapfanなどの絵地図と比べてれば駅の位置が特定できると思います。

これ見ても位置的には微妙です。駅の南の方にさび付いた屋根が見えますが、これが工場跡の建物かな?

投稿: ちき | 2005.12.17 08:20

>ちきさん
こんにちは(今は夜ですが)。

昭和49年というと、
1.駅移転済
2.木造駅舎有り。
3.所在地は大原町?
4.房総白土商会廃業後。
となりますね。

駅舎位置ですが、空中写真上、現在の三門駅位置で、屋根が東西に、という建物が(木造)駅舎だと思いますが、、今のMapFanの示す町境だと、私は「岬町三門」に見えますね。(その直南の四角い領域は何?とも思いますが)。

距離的には70m位南、線路反対側の屋根がきっと工場跡だろうな、と。

面白いのは、その工場跡の位置、現在ならきっと踏切があるんですが、空中写真では、あったとしても歩道の踏切ですね。工場跡への道は、当時は人の移動のためでなく、工場への輸送が主目的であったと推察できます。

今の三門駅って、ホーム位置が不思議で、近辺のホーム幅が広いところに列車は止まらず、長者町側の狭い方まで歩かないと実際には乗車できないのですが、空中写真から「ここまでホーム?」と思えるところを見ると、長者町側はそんなに変わらず、大原側にもう少しあるかな?後、工場跡側にもホーム跡?という感じですね。

以下推理ですが、

駅移転が房総鉄道買収の2ヵ月後だとすると、その移動距離等から考え、旧駅は工場近辺にあって、房総鉄道としてはそれでよかったが、国有化後、一般客の利便のために現在の位置へ移動した。

駅所在地は、木造駅舎時代は、「三門」にあったが、簡易駅舎化された時に、町境越えて「大原町」に移動した。--ただしこれだと、木造駅舎時代に「岬町」あったことにならないといけませんが。

現在の不自然な乗車可能ホーム位置は、昭和49年時は、駅舎正面で乗車可能だったが、その後房総白土商会工場跡位置に車通行可能な踏み切りが作られたため、安全のために長者町側に停車位置がずらされた。--そんな事気にするかな?国鉄(orJR?)が。

なんか、情報は増えてもわからないことは減らない感じですね。

投稿: | 2005.12.18 01:50

s24~s33に、三門駅周辺に居たものです。
gooの地図に、いすみ市以前の大原町と岬町の町界が残っていて、駅は岬町三門になりますが、駅前は大原町(東海村)日在になります。だがこの周辺の子供は、岬町(長者町)の長者小に通っており、部落は隣接の宮前扱いで、駅以西が三門扱いでした。
現在の航空写真では判りませんが、駅舎の北側に小さな丘があり、北へ500m寄せることは不可能です。同様に、南側は踏切でこれも不可です。駅は移動してないはずです。
この駅は、単線なのですが、線路は複線で、西側ホームが白土工場で、いつも無蓋貨車が横付けされていました。よってポイントもあり、複数の駅員と駅長も居ました。この白土工場からはトロッコ線が延び、牛が引いていました。
この三門は今では想像できませんが、工業地帯であり、まづ駅北側に砂鉄工場があり、海に向かいトロッコ線がしかれ、鉄橋遺構は今もあり、トロッコ線の北側には塩工場(しおこうば)、駅西側には醤油工場がありました。三門には廃工場、配線探索が残っています。文学、史跡もありますが・・・

投稿: 名なし | 2010.08.05 15:30

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受信: 2005.12.25 13:54

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